脚      吉野弘

 

どこかに出掛けるつもりで

若草のやわらかな川ほとりの堤を

川下に歩いてました

このあたりまで来たとき

不意に

頭の芯が何かに拭い去られ

白い眩暈をおぼえて心細くなり

行先を思い出そうとして

立ち止まりました

立ち止まったとき

身についた日本舞踊の構えになり

両膝をぴったり合わせて脚を曲げ

腰を落してました

これなら師匠さんにも叱られないわと

首をすくめ

笑いたいような得意な気がして上体をひねり

腰から下にためたやわらかさを 

見おろしてました

その

ほんのわずかのたたずまいの間に

脚が下からこわばりはじめ

胴が絞り上げられ

乳房が見る間に突き出して

着物の胸元を乱暴におしひろげ

やわらかい二股の肉に裂け

上に向ってするすると伸び

伸びながら裂け

裂けながら伸びひろがり

いったい何が起ったのかを

必死で見届けようと気を張っているうちに

目が溶け

何もかもわからなくなりました

今はもう

私という感じを思い出すのがやっとです

着ていたものも多分朽ちて

露わな黒ずんだ裸でしょうか

――と語るのは

両膝をぴったり合わせ脚を曲げたように

堤に生えている榎の二本の幹

行先を思い出そうとして

行き暮れている

二本の脚

 

(詩集『叙景』より)

 

 


詩人吉野弘は、1972年(昭和47年)から埼玉県狭山市北入曽に在住し、1977(昭和52年)には同所を題材とした詩集『北入曽』を発表。1983(昭和58年)から1996(平成8年)まで、狭山市民の文芸雑誌『文芸狭山』(狭山市立中央図書館刊行)の編集委員を務め、自作の詩や随筆を投稿している。狭山市立入間野中学校や埼玉県立所沢中央高等学校など校歌の作詞。2007(平成19年)に静岡県富士市に転居した。米寿を目前に控えた2014(平成26年)1月15肺炎のため富士市の自宅で死去した。87歳没。墓所は狭山市入間川の妙智山慈眼寺。

結婚式のスピーチに引用される「祝婚歌」や教科書にも掲載された「夕焼け」「I was born」などの作品で知られ、やさしいまなざしの感じられるその言葉は多くの人々に共感や励ましを与えている。

          フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋