山王様

不老川に架けられた山王橋のそばのほこら庚申塔こうしんとうが祀られ、「山王様」と言われています。台座に浮き彫りの青面金剛像しょうめんこんごうぞうが立ち、台座で三猿が股を広げています。猿は、山王大権現で大山祇神おおやまずみのかみのお使いです。山王権現が山王塚の地名や山王橋の名前、山王小中学校の校名を生みました。1783(天明3)、小野田四郎右衛門の発願で土橋が石橋に改められました。そして1955(昭和30)頃、山王橋の架け替え時、橋の石桁は、祠の後ろに置かれました。さらに1989(平成元年)、現在の橋になり、右岸側にあった山王様は、1990(平成2年)現在地に移転しました。

庚申信仰では、60日に一度の庚申の日、人々が寝ている間に生まれた時から体内に宿る虫(三尸さんし)が天に上り、その人の悪口を天帝に言い触らすという言い伝えがあります。そこで、人々は庚申の日になると、一か所に集まり宴会や話し合いをしながら寝ないようにしました。庚申塔は、その祈念に造られ、天に昇った虫が「見ざる・言わざる・聞かざる」でいて欲しいと願って、3匹の猿を刻みました。

 

下水野の地蔵尊(化け地蔵)

山王小学校付近の辻に小さな祠が建っています。祠には地蔵菩薩が立っています。水野村開発の20年後、1685(貞享2)、地蔵は自分たちの現世と来世の安楽(二世安楽)などを願って造られました。水野村名主・牛久保牛右衛門忠元ほか47名の名前が刻まれています。

地蔵は「化け地蔵」とも呼ばれています。昔の道幅は狭く木の枝やススキがおおいかぶさり薄暗い寂しい通りでした。昔、一人の旅人が通りかかりました。もう夜もふけ、辺りは暗闇で、手探りで歩いていると、遠くに小さな明かりが見えました。近づいてみると、目玉と口が光る化け物でした。驚いた旅人は近所の民家に駆け込み、そのことを話しました。農家の人が、翌朝行ってみると、若者がいたずら半分に掛けたスイカ提灯ちょうちんだとわかりました。しかし、化け物が出た話は周りに広がり、化け地蔵と呼ばれるようになったとか。また「夜泣き地蔵」とも呼ばれています。子どもが夜泣きをして困った時、この地蔵様を荒縄でグルグル巻きにしばり、夜泣きが治ると荒縄をほどいてお礼をしたそうです。

1973(昭和48)道路拡張により隣接する水野の地から現在の場所に移転しました。2013(平成25)狭山市指定文化財・史跡に指定されました。